さよなら我が愛車よ

長女が生まれると2ドアのピアッツアでは使いにくい。と、いうことで乗り換えた。その長女も大学2年生。子供と同じく我が家の家族だった。大切に使ってきたのだが、こちらに持ってきたら野ざらし。ベイタウンでは地下駐車場だったので車は傷まなかったのだが、こちらでは紫外線も雨もバンバン当たる。樹脂部品やゴム部品、塗装などが急速に劣化してきた。雨漏りがするようになってきたし、真夏の高温のためかステレオが壊れた。そのたあちこち急速に劣化してきた。昨年春にはエンジンスイッチが壊れて入院することになった。部品も日本にはなくて調達するだけでも3週間もかかったし.....最近はブレーキが若干不調。希ではあるがキャリパーが戻らなくて引きずるときがある。そうなるとものすごくホイルが熱くなってしまい、焦げ臭い臭いもするようになる。

ものすごく悲しいのだが......諦めることにした。

1991年のAudi100 turbo  世界の自動車界に大きなインパクトを与えた。速度制限の無かったアウトバーンにおいて、小排気量エンジンしか有していなかったフォルクスワーゲン・アウディグループがライバルに伍していくため、空気抵抗を徹底的に減らしたボディと、ゴルフベースの小排気量エンジン(Audi80に使用)のシリンダーを1本増やし5気筒にして、排気タービンで過給してパワーを稼いだ。100 turboの最終モデル。


今みてもほれぼれする端整な姿(2010.11)


後ろ姿も端整です。タイヤは私が大学生の頃のあこがれ、ピレリのP6。205/60/15。当時はアルミホイル並みの値段の超扁平、高性能タイヤだった。


梅林にて


今のアクの強いアウディと違い、この時代のアウディはアクがなくスッキリ


turbo のエンブレムが輝かしい。ヤナセの黄色と青のステッカーが窓の中央に貼ってある。


7連メーター。左から、電圧計、油圧計、油温計、水温計、回転計、速度計、燃料計



総走行距離94554kmでした。


車屋さんが引き取りにきて連れて行ってしまった。デリカシーのないこのオヤジ、「来週にはスクラップになります」なんて車を前にして大きな声で言う。可哀想に.......。


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